萩原流行さんのバイク事故におもうこと
世の中にはいろんな考え方をする人間がいます。今回のような件が起きて警察に不信感を募らせる人間が一定数いる一方で、『警察のやることだから』と盲目的に警察を信じる人間もいます。 たぶん、後者が今も大多数で、自分も昔はそうでした。
駐車場の車内にいて正面衝突された母
ずいぶん前のこと。
母が薬局へ行った際、駐車場の自分のクルマの車内にいて、外から駐車場に入ってきたクルマに正面衝突されました。母のクルマは、エンジンを切って完全に停止した状態です。薬局に行ってみると、(日曜日の夕方にも関わらず閉まっていて)店の敷地内から出ようとした矢先の出来事でした。
相手のクルマは、国道から入ってくると、スピードも一定のまま、駐車場内いっぱいをぐるっと定常円旋回し、そのまま母のクルマに正面から突っ込みました。ブレーキをかけた様子が全くありませんでした。母のクルマに突っ込んだ勢いで、相手のクルマが停止した形です。*1
『この幟(のぼり)見えましたか?』
クルマから降りてきた相手は、開口一番、母に意味不明なことを言ってきました。このとき母が『もしかしてお酒でも飲んでる?』と疑ったのも頷けます。立っていた幟が見えなかったのは、相手の男性の方で、自分に問いかけた心の声がつい口をついて出たものだったのでしょうか?
母は携帯を今でも持っておらず、携帯を持つ男性に母が警察へ連絡するように頼みましたが、男性はのらりくらりと話をはぐらかし、なかなか電話しようとしませんでした。
それでも母が何度も頼んで男性が自分の携帯で連絡し、やっとのことで警察へ到着すると、すっかり辺りは日も落ちて暗くなっていました。(母が事故後に動転していたことも考えると、自分が一緒に付いていなかったことをいまだに悔やみます)男性は身分も尋ねられもしないうちに、警察へ自分の勤務先を告げました。
『◯◯中学に勤めています』
偶然かどうなのか、この発言のあと、警察は母に一切なにも尋ねなくなりました。男性が事故の状況を一方的に説明、警察はそれを熱心に書き留め、事故の見分は終わりました。
事故の相手はしばらくすると異動で別の職場へ
中学で実際に教科を教えている現役の教諭だという男性は、受け持っているクラブの遠征試合に生徒の引率でついて行った帰り、という説明でした。『日曜日なのにそんなわけがない』と、この説明ですら、母はいまだに信じていません。
『◯◯◯◯って、◯◯◯から選出の◯◯◯◯と株打ち*2と違うのん?』
母から聞いた事故相手の苗字は、この地方では誰でも知っている有力者と同じで、明らかに縁戚関係があるとおもわざるを得ませんでした。事故後、男性は勤めていた中学から教育委員会へ異動しました。
“事故見分の際に、当事者の一方が(警察とおなじ)公務員の場合、そちらの肩を持つ”
自分が若い時に聞いた、都市伝説の域を出ない話ですが、(事故後に詳細に事故当時の状況を説明する)母に(警察の質問に耐えられないほどの)認知能力そのほかに特別な問題があったとはとてもおもえません。
“バイク乗り”“うつ病”という二つのキーワード
ヨーロッパなどと違い、国内において今後もバイク乗りの地位が向上することはあまり期待できないとおもいます。一般的には(お金持ちしか乗れないという)ハイソなイメージのハーレー乗りでさえ、ひと度事故を起こせば、『それみたことか』と有形無形に周囲からの攻撃を受けます。
“最近怪我したんだ”
“バイクで?”
昔、勤務中に負った怪我を知人に説明した際に、実際に交わした会話です。世間の認識とはこういうものなんだと改めて思い知らされました。怪我をしたのは屋内で、バイクとは一切関係がありません。
うつ病そのほかで投薬治療、もしくは保健師の訪問などを受けている方を個人的に何人か知っています。休暇を取るために勤務先へ公表している方もいるとおもいますが、周囲に隠して生活されている方がほとんどだとおもいます。今回の萩原さんの事故が、死亡事故でなければ、警察も医療記録まで取り寄せることはなかったのではないかな、とおもいます。この点だけ取り上げても、警察の焦りみたいなものが感じ取れます。
(雨は降り出し始めが滑りやすい、と言っても)ハーレーのような低重心のバイクが、あのような直線のなにもない場所で唐突に転倒することは考え難いです。一般人なら、死人に口無しになったケースじゃないかという印象を強く受けます。(萩原さんの奥様でなくても)警察に不信感を抱くのは仕方がないとおもいます。
警視庁にはきちんとした今後の対応を望みます。