あけましておめでとうございます
松も取れたし、今さら年始の挨拶でもないですが、一応ね。
今さらついでに書くが、昨年の一連の報道以来、忖度と斟酌がいつの間にか同一の意味にされて定着しつつあるというか、もう一般化した感がある。一番困るのは、俺みたいに忖度という言葉を(主には交渉事ではあるけれど)日常的に使っていた人間だ。以前のようには使えなくなってしまったからね。こちらがどんなに真剣な話をしていたとしても、この言葉を出した途端に、相手はニヤついてしまって、話の腰を折る結果になる。
(ある一定の年齢以上の人間になら理解してもらえるだろうが)もともと忖度という言葉には、現実に即して、なるべく公平に差配するという意味が含まれていた。対して斟酌は、自分よりも弱い立場の人間の心情を考慮するという意味だった。少なくとも昨年までは。お分かりいただけると思うが、斟酌のほうが、より主観的でウェットなニュアンスになる。第三者から見た場合、ともすれば、こっちのほうが公平性に欠けると受け取られかねない。*1
(時代劇に興味がない人には、単純に勧善懲悪の話のように映るだろうけど)俺が好きな鬼平犯科帳や大岡越前では、この忖度と斟酌をいい塩梅に主人公が使い分ける。冷徹に罪を見定める(=忖度)一方で、更生しようとする人間には温かい手を差し伸べる(=斟酌)ということなんだが、現実においては、そうはいかないことが多い。
日本語は難しい。
英語のアルファベットは、母音・子音合わせて26文字。日本語は、常用漢字だけで2,000文字以上にもなる。英語は、発音と表記がほぼ一体となる構造で、言葉を聞いただけで綴りがある程度は想像がつく。対して日本語は、例えば〝はし〟と一口に言われても、〝箸〟〝橋〟〝端〟など、同じ読みで全く違う意味の言葉があり、膨大な量の文字を一つ一つ覚えなければならない。
父方の祖父は、達筆で知られていた。
『葬式で、お前んとこの爺さんの横に自分の名前を書くのは恥ずかしかった』
子供の頃の父は、祖父の知り合いからよく言われたそうだ。だが、祖父が相当に苦労して文盲を克服したことは、身内以外は誰も知らない。尋常小学校もろくに卒業していなかった祖父は、独力で字を覚えた。朝、新聞を読んでいた祖父が、
『この字はなんて読む?』
と、よく母に尋ねたそうだ。食事の用意や洗濯に忙しい母からすれば、煩わしいことだったろう。もう、その頃には祖父も一通りの読み書きはできていた。祖父なりの老婆心から、息子の嫁の才槌(=頭・脳味噌)の目方を計る目的があったのかもしれない。
英語は日本語よりも易しいようなことを書いたが、読み書きで苦労する人は、どこの国でも存在する。文盲の主人公が出てくるハリウッド映画と言えば、「アイリスへの手紙」が真っ先に思い浮かぶ。
youtu.be店主は頑なに『引換券を』と言うが、主人公のスタンリーは『そこに見えているのが俺の靴だ』と、なんとかその場を切り抜けようとする。店主も『それならば、ここに受け取りのサインをしてくれ』と譲らない。スタンリーは、自分の住所すら書けない。埒が開かないことに苛立った彼は思い余って…
youtu.be頭痛が酷いアイリスは『タイレノール(=鎮痛剤)をちょうだい』とスタンリーに頼むが、彼は何度も間違える。このやりとりから、アイリスはスタンリーが文盲であることを確信する。文字が読めないことが如何に大変なことか、この映画を見ればわかる。実在する人物をモデルにして製作された映画だということだ。
〝忖度なんて言葉は今まで聞いたこともない〟
〝知らないのが普通だ〟
マスコミの言葉に踊らされて、自分の無知や無学を堂々とひけらかす。一番問題なのは、その行為自体を恥ずかしいことだと本人自身が感じていないことだ。
〝…この言葉を知ってるということは、もう少しきちんと対応しなくてはいけないな〟
見た目で判断されるのが嫌というなら、中身を相手に知ってもらうほかはない。この歳だから言えることかもしれないが、だらだらと文句を並べ立てるより、簡潔な言葉一つで相手の気持ちが動くことが必ずある。自分の行く手を阻むものが本当は何か、気づく人は少ない。そして、気づかなかった人は一生損をし続ける。日々の生活に追われて、考える暇もないから。
〝出鱈目だったら面白い〟っていうのは、彼のように一度自分の中に入れて十分に咀嚼した人が吐ける言葉。勘違いしちゃいけない。
*1:独自の解釈であり、辞書などに一般的に記載されている意味とは必ずしも一致しません。