紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ

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全てのことを受け容れて生きてくしかない

自分なんぞは、己の生き恥を明け透けに書き散らすものだから、他人様から見れば、随分と非常識な人間に映ってることだろう。だが、ブログを書いている全ての人間に言っておきたい。『あんた達も、14〜5年前なら十分に変人の部類に入っていたよ』と。SNSでプライベートを第三者に公開するなんてことは、当時は考えられなかった。常識などというものは、時代が進むごとに変遷していく。だから、〝後出しジャンケン〟で勝った人間に文句を言うつもりもない。

家を出て寮生活をしていた頃のこと。同僚に少し変わったやつがいた。仕事が終わると、同部屋だったそいつと風呂へ行くのが日課だった。俺も、同部屋のそいつも入浴時に歯を磨く習慣があった。自分を含め、大抵の寮の者は、シャワーの付いている洗い場に付属のカランをひねって口をすすぐ。だが、そいつは大勢が浸かる浴槽から風呂桶で湯をすくい、さも当然のように口をゆすいだ。最初にそれを見たときは、流石にびっくりしたが、半年も同じ生活を共に過ごすうちに、俺もいつの間にか慣れてしまった。一度、現場を見た先輩が『それは…やめておいたほうがいいんじゃないか?』と呆れていたが、やつは意に介してない様子で、以後もその習慣をやめることはなかった。

そいつが特別に度外れて変わった人間かというとそうでもない。ある晩のこと。俺が、たまの外出でヘベレケに飲んで帰ったことがあった。門限ギリギリ、這々の体で寮に帰り、着替えもせずに自分のベッドにすぐに横になった。そうして迎えた翌朝、二段ベッドの下に寝ていたそいつが、起き抜けでまだ酔いが冷めやらぬ俺に突然に激昂した。どうやら、寝ている間に履いていた靴下を脱ぎ、下に落としてしまったらしい。終日飲み食いして街を歩き回ったこともあり、俺の靴下から匂いが発散していたこともあったのだろう。『いい加減にしろよ!』と、いつにない激しい口調で俺をなじった。『すまん。すまん』と俺は口では謝りつつも、〝こいつにも、こんな繊細な部分があったんだな〟と妙におかしかった。

街へ出て、知り合いに会うごとに『顔色が悪い』と言われ、それが3人も続けば、それまでなんとも思っていなかったのに『俺はどこかおかしいのか?』と病気を疑いだす。実際には、それが知り合い同士が示し合わせたタチの悪い悪戯だったとしても。ヒトの精神とは脆いものだという例え話だ。昔からよく聞く話で、古典落語の小話にもしばしば登場するから、お聞きになった方もいることだろう。同僚の風呂場での行為に『あいつはおかしい』と寮に住む人間全員の同調圧力のようなものが働けば、精神的に追い込んでしまうことも、もしかするとあり得たかもしれない。

〝世の中には、いろんな人間がいる〟

そういうことを教えてもらったのが、自分の寮生活だった。気がつけば、あれから三十余年が経った。年々、世の中は寛容さに欠けた、余裕のないものになりつつある。

〝箸の持ち方がおかしい〟

〝クチャ喰いやめろ〟

不愉快なら、ブラウザバックすればいい。親に厳しく躾けられたということはわかるが、過去の自分を他人に代理させて叩いても、今の自分の問題が片付くわけじゃない。何より、こうした指摘は、身内か親しい友人がこっそりと本人に耳打ちする類のもので、顔の見えない赤の他人が言うことではない。もうどのぐらい、他人とまともなコミュニケーションを取っていないのか。マナーのことを取り沙汰する前に、他人を傷つけ恥をかかせるということがまるで理解できていない。

〝5年後のあなたはどうなっていると思いますか?〟

そんなことを聞いてどうするんだろうな。気になっているのは、相手のことじゃなくて、自分自身の5年後のことだろう。もちろんだが、他人から自分の欲する答えが得られるはずもない。

〝効いてる効いてる〟

自分と同じ苦しみを他人に与えて喜ぶなんて、それこそ病気だよ。

 

努力すれば、必ず機会が皆平等に与えられれば、それは確かに理想だ。仕事だろうが恋愛だろうが。でも現実はそうじゃない。どうしても埋められないことは、誰もが抱えて生きている。そういうことを、もっと親や学校がきちんと教えるべきだった。あなたに同情するべき点があるとすれば、そこだろう。今、家族が放っておいてくれるのは、あなたに何もしてやれなかったことを悔いているのだよ。決して、呆れたり見放しているわけじゃない。

〝俺の人生、もう詰んじゃってるんだよ〟

そんなことを言う配信者でさえ、日々もがき続けている。いいことなんて、いくら待っていても、向こうからやってくることは決してないから。耳障りのいいことを言って近づいてくる人間は、結局は他人から奪っていくことしか考えていない。現実の人間との関わりが遠のくほど、そういう見極めができなくなる。

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ギルバート・グレイプは、母親が亡くなったことで現実を受け入れた。自分にしたところで、親父が死んだことで様々なことが変わってしまった。何年も長く病んでいたので、そんなに慌てることもなかったが。何より、この一年足らずというもの、押し寄せてくる現実ひとつひとつに対処して行かなくてはならなかった。これからも、自分が生きていく限り、それは続くだろう。

親が生きている間に予行演習ができた俺は幸いだった。どんなにネットで知識や理屈を身につけても、現実の人間の行動はその予想を超える。何をするにつけ、怒りは冷静な判断をするのに邪魔になるだけだ。他人に腹を立てている時、そこに自分の姿を無意識に投影している。自分の嫌な部分を、その人間の行動に知らず知らずのうちに見出してしまっている。できたら、親が生きているうちに現実を受け容れることだ。できないことや、できなくなったことを嘆いてもしょうがない。日々、親も自分も同じに歳をとっていく。

 

youtu.be

何もかも嫌になった時期は俺にもあった。19のころ、バイトに出かけることも家の仕事を手伝う気にもなれず、数ヶ月の間、家に閉じこもっていたこともあった。

 まずは風呂に入り、髭を剃り、歯を磨いて清潔な服装に着替える。散髪代ぐらいなら、親もくれるだろう。どこへでも出かけられる姿になったら、コンビニに入ってみるのもいい。長く他人と話すこともなかったのなら、店員との短いやり取りでさえ苦痛だろう。でも、そこから始めるしかないんだ。それで、だんだんと自分を馴らしていく。昼間に出かけることに慣れたら、ショッピングモールでも駅前でもいい、履歴書用に証明写真を撮る。職歴が空いていたことや年齢のことを気にするのは、もうそろそろやめにして、まずはハロワに行ってみることだ。備え付けの端末を叩いてみると、現実の厳しさに落胆することになるかもしれない。それもしょうがない。やる気があるということがわかれば、まともな相談員は事情を聞いてくれる。嘘もごまかしも言わないことだ。履歴書の書き方のコツもアドバイスしてくれるだろう。

 

もう、全てのことを受け容れて生きてくことだよ。