受かるコツなんて誰も教えてくれねえよ。
1994年10月某日。兵庫県明石運転免許試験場。
バイクの限定解除試験に合格したその日の午後、免許証の裏に公安委員会の合格印を押してもらうために、併設されていた食堂の前の床に腰を下ろして待っていた。何気なく振り返ると、ついさっきまで試験で使用していたコース上に、見覚えのある集団が歩いているのが見えた。
5月に事前審査*1に受かったあと、地元の警察署で、公安委員会主催で毎年8月に明石の試験場で行われる二輪の技術講習会に申し込んだ。2日間で2万円を超える高額な料金をぼられる取られるが、中型二輪免許*2の試験以来の勘を取り戻すために参加した。高額な料金にも関わらず、実際の参加者が多かったのは、講習会に参加することで事前審査が免除されるという特典が付いていたからだ。*3 講習会には、現役の交通機動隊所属の白バイ隊員が、クランクや S字 のコースで模範の展示走行をするなど、普段は滅多に見られないテクニックを目の当たりにすることができ、自分にはそれなりに楽しむことができた。*4
話を元に戻す。
試験後のコース上にいた集団は、自分が8月の講習会に参加した際に一緒だったメンバー数人と講師だった。彼らメンバーは、どうやら、その日は受験をすることはせずに、終わるまでずっと試験の様子を見学していたようだった。自分と同様に、講習会に参加直後から試験場に通い詰めていたが、結果はずっと不合格だったことは知っていた。濃紺(もしくは黒?)のジャケットを着た40代の男性講師は、バインダーに綴じた紙に時折目を落とし、コース上の様々な場所を指さしながら何事か説明している様子だった。
ここからは、あくまで、推測の域を出ない話だが。
あの日のコース見学は、何度受験しても落ち続けることに業を煮やした講習会の参加者メンバーが、バカ高い料金を払ったことに対する見返りを講師に求めたものかもしれない。
“受かるコツなんて誰が教えてくれるものか”
講師に引き連れられてコース上を歩く彼らをガラス越しに見ながら、俺は、そう心のなかで悪態をついた。
公安委員会主催の二輪技術講習会の講師というのは、簡単に言うと警察の人間だ。そんな人間が(いくら講習会の参加者から不平不満が噴出しようと)その一線を越えて “受かるコツ” など口にする筈がない。講習会の参加者が、あの日そういうことを期待して試験場に講師を呼び出したというなら、ずいぶんとがっかりしたことだったろう。
例えば「寄り(あるいは“寄せ”)が足りない」と言われたとして、試験官の目から見て「寄せが足りない」なら「寄せが足りている」ように見せるには、どうしたらいいか?あとは自分の頭でよく考えて、その答えを探り当てるしか術がない。(ここまで書くと、自分からすれば、ほぼ答えを言っているようなもんだが)
(多分、俺と同年代前後の限定解除合格組が)某掲示板形式の質問サイトなどで『不合格になるのは法規走行さえ満足にできないからだ』『ヘタクソだから落ちただけ』などと書き込んでいるが……自分が受かったからと言って、よくもまあ、あれだけ上から目線のことを恥ずかしげもなく言えるな、と呆れてしまう。俺が以前に書かせてもらったコチラのような事情もあるから、これから免許を取得する人間は、年寄りの言うことなど適当に聞き流しておけばいい。
自分が合格したのちにわかったことですが、実際に一回や二回で合格する受験者のほとんど(自分の心証としては全部)が、教習所で数十時間みっちり練習したのちに試験場にきていました。それも、教習所内には、実際の試験コースとそっくりのコースが設けられ、彼らはそこで徹底的に練習を積んで試験に臨んでくるので、(自分を含め)独力で受験する一般の受験者とは、あまりにも環境に開きがありました。
当時、バイク雑誌では読者投稿による限定解除の受験体験記のコーナーページが人気を博していました。今よりも世擦れていなかった自分は、そうした体験記を読むたびに『凄いな。一回で合格したのか』と、単純に感心していたものでした。(合格したことは事実でしょうけれど)今にしておもえば、ああした体験記の内容の信憑性には部分的に疑問が残るところです。
所詮は言ったもん勝ち。証明のしようがない大昔のことだ。
(その日の気分で文体が変わるのは毎度のことです)
……しっかし、クッソワロタな。ヤ◯ー◯◯◯。マジで腹筋崩壊だわ。
数少ない過去の栄光にすがりつくというか、しがみつくというか。俺もあんましバカマッチョなこと言うの控えよう。