安保法案で世間が騒がしいなか…あの番組をもう一度見た。
「72時間」という、ドキュメンタリー番組があります。番組タイトルの通り「3日間かけて定点観測を行う」というコンセプトで、毎回様々な場所と人々が登場します。
今回ご紹介するのは、6/19(金)に放送された「沖縄 追憶のアメリカン・ドライブイン」という回です。
本土にいては知ることのできない、沖縄の人々の考えや暮らしの一端が垣間見ることができ、非常に興味深い内容となっていました。
舞台は、国道58号線で那覇からクルマで北上すること1時間の、海辺のレストランです。
撮影は、5月14日(木)正午から始まりました。
テイクアウトもやっているレストランに、昼食を買うために立ち寄った、ダンプのおじさん。(この方の先客のお二人もダンプの運転手さんでした)
運転席には、星条旗が飾られています。手に持っているのは、娘さん夫婦とお孫さんの写真です。
このあと、嬉しそうに、番組スタッフにご家族の写真を見せてらっしゃいました。嘉手納基地の航空隊にいた男性と娘さんが結婚され、現在、シアトルに住まれているそうです。
終始、陽気なおじさんでした。
お店に通ってくるお客さんのほとんどが常連さんということです。
このレストランの営業が始まったころ、沖縄は、まだアメリカの統治下でした。最初は、国道を通る米軍の軍人向けに開店されたそうです。お店には、その頃からの常連さんも通ってらっしゃいます。
お店の名物のチャーハンです。独特のネーミングも、アメリカ統治のころの名残りを思わせます。
お店のメニューは、当時の米軍基地の食堂で出されていたものを沖縄風にアレンジしたものだそうです。
テイクアウトしていくヒトが多いという、お店の人気メニューのスープです。
番組スタッフの男性が味見させてもらっていましたが、沖縄風のとんこつに、アメリカンなクリームソースという、和洋折衷の味付けになっているそうです。このスープは冷製ではなく、熱々のものを出している、ということでした。暑い気候なので、塩分を欲するらしく、飛ぶように売れている、とのことでした。『コショウを入れたほうが美味しい』と、女性客の一人は言っていました。
ひと組のご夫婦がレストランで食事をされていました。
二十代のときに、沖縄でお二人は知り合ったそうで、ご主人が米軍を退役されたのを機に、最近、アメリカから沖縄に移住したとのことです。
二人が知り合ってしばらくして、任期を終えた彼は帰国。彼女は、彼を追って、単身渡米したそうです。まるで恋愛ドラマのようなお話です。それから結婚して、もう42年になるとのことでした。単身渡米したことについて彼女は『本当の若いときは、全然心配とかしないんですね。考えられないくらい、本当にね。無邪気って言うかな…何も考えないでやったから。本当に今考えたらぞっとしますよ』とおっしゃっていました。
1日目の夜を迎えました。
同じ派遣会社だったという若者たちです。例の名物スープで乾杯しています。『愛知県の自動車工場で働いていたときに(同郷だということで)仲良くなった』ということです。
沖縄では賃金が安く、彼らのように(自動車工場の期間工などの)季節労働者として本土へ行く若者たちは珍しくないことのようです。(彼女は、沖縄にいたときは保育士をしていたそうです)
撮影二日目です。今日は、沖縄のヒトたちにとって、特別な日です。
俺が、小学校の1年でしたね。当時、学校で、先生たちが話題にしていた記憶がうっすらあります。あくまで、うっすらです。
奇しくも、当日の朝刊の見出しには、“安保法制 なぜ急ぐ”の文字が。当時、二十代半ばだった、このタクシー運転手さんによると、本土復帰の日、沖縄では、どしゃぶりの雨が降っていたそうです。
本土復帰の日には、東京で働いていたという男性は、きれいな標準語を話されていました。
東京では飲食業をされていた、この男性は、沖縄が本土復帰後に故郷に戻りましたが、仕事がなく、苦労されたそうです。『自分の若い頃は、みんな軍作業員だった』と語る男性。男性は『辺野古の問題で…同じ県民で反対・賛成の葛藤があるけど、飯を食わにゃあいかんもんで』と言い、米軍で仕事をしていることに、複雑な思いがあることが窺えました。
今日が、沖縄が本土復帰した日だと知らなかった、地元の高校生。17歳の彼が言うには『自分たちの世代は、あんまり気にしてないんじゃないですか』とのこと。卒業後は自衛隊に入るのが希望だと言っていました。
訊いてみなければ、わからんもんです。
1969年に台湾から移民してきたという、飲食店経営の男性です。*1当時は、ベトナム戦争の真っ只中で、『1・2年分の給料を、一晩で果たして(使い切って)しまう、ベトナムからの帰還兵が多勢いた』とおっしゃってました。
撮影三日目です。
番組スタッフ:ステーキがお好きなんですか?
女性:(微笑んで)そうだね。肉は食べた方がいいって言うし。
番組スタッフ:はい。
女性:週に1回は来てますから。
番組スタッフ:ああ、週に1回。
(番組ナレーション:80代の夫婦。創業当初から50年近く、いつも二人で通ってきた)
番組スタッフ:沖縄って、やっぱり何か変わりましたか?
女性:(窓外を眺めながら)うーんとねえ…変わったといえば…
男性:(女性の言葉に被せるように)海の破壊が続いたね。(窓外に見える、開発されたビーチを指しながら)こんないらん物をいっぱい作ってね。
女性:だから、基地があるというのも複雑な気持ちなんですよ。あの、基地内ですよと言われている所は緑豊かなんですよ。嘉手納基地の中に自分たちは昔の家屋敷があったんだけど、そこにはウガンジュ(拝所)*2といってご先祖様たちがおまつりした…その土地の神様がいるんですよ。それも残してくれるんですよね、向こう*3は。そのままムイグア…(一瞬だけ、ほかのお客を窺い見て)森はそのままあるんですよ。
男性:基地内でそのもの(の姿)を残してくれてるところは、すばらしいですね。
女性:ところが、開放になりますでしょう。たちまち建物だらけになるんですよ。
男性:基地が良くないというのは、もう、心情的にはよく分かるんですけど…とても変な気分ですね。
1959年に起きた、宮森小学校米軍機墜落事故について語る女性。
事故当時、彼女のお兄さんたちご兄弟が事故が起きた小学校にいたそうです。幸い、ご兄弟は無事だったそうですが、彼女と(助手席の)お母さんにとっては、忘れらない出来事です。
沖縄の歴史を知らずに取材をおこなう、若い番組スタッフを、やんわり嗜める一幕も。
こちらのレストランには、米軍関係者も訪れます。宣教師の夫とともに、若い兵士を連れて、定期的に交歓の場を設けているそうです。
ここら辺は、日本のマスコミに向けてのリップサービスも半分ぐらいはあるだろうな。
かなりタフな印象です。
見た目の印象通り、入隊の動機もタフでした。
仕事を離れれば、ご覧の通り、日本の若者となんら変わりません。
最後の夜です。
奥さんと夜中のドライブの途中に、名物スープを買いに来た男性。生まれも育ちも沖縄だそうです。
父親のことは、何も知らないそうです。お母さんからも何も聞かされていないそうです。『訊いても、答えてくれなかった』そうです。(自分の年齢を考えると)ベトナム戦争当時に沖縄に来ていた米兵とお母さんが知り合って、自分が生まれたのではないかと、おっしゃってました。
番組スタッフ:沖縄に生まれてよかったですか?
男性: そうですね。色んな所にも行けるしね。こんないい自然もあるし。昔の沖縄は「いちゃりばちょーでー」(=出会えば皆兄弟)じゃないけど、近所でも小さい子供の面倒とか、みんなで大人が見てくれるから。その環境にいたから、色んな事、学んだ事も多いから。逆に良かったんじゃないかとおもう、(アメリカではなく)沖縄の方が。
最終日の朝を迎えました。
ドキュメント72時間「沖縄 追憶のアメリカン・ドライブイン」
“沖縄最古のドライブイン”の3日間。沖縄中部、48年前の占領時代から続き、懐かしいアメリカの雰囲気が残る店。長い歴史の中で沖縄の人たちが見てきたものとは?
番組内容
ジュークボックスから流れるオールディーズ。おばあがステーキを頬張り、米兵がフライライスをかきこむ。ここは沖縄本島を縦に貫く国道58号線沿いにある古びたドライブイン。占領時代に米兵相手に始まった店では、今も60年代アメリカそのままの懐かしい風景が繰り広げられる。ベトナム戦争時に台湾から渡ってきた人や、恋人を追いかけアメリカへ渡った女性。時代のうねりとともに生きてきた沖縄の人々のソールフードとは?
出演者
【語り】鈴木杏
2015/6/19(金)22:15~23:19
(以上、放送当時の番組データより)
http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/2info-book-ki8-taka.pdf