紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ

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俺がいまの俺じゃなかったころの話

 

そのバイパスをバイクで走る時間帯はだいたい決まっていて、大抵、午後から夕方にかけてだった。

元来は、広域農道とか農免道路とかいうものが、一般の道路*1に格上げになったような、そんな道だった。

3つの県府境に跨がる、要衝のような場所だったから、普段から交通量も多かった。

 

対向車線の京都側から来るその輸送トラックは、俺が通る時間帯に遭遇することが多かったから、運んでいるものはわからないが、なにかをルート配送していることは容易に想像できた。

 

 

最初はただの偶然だとおもっていた。

 

そう、そのころの俺はといえば、世の中には偶然とか奇跡なんてものが存在すると信じてるようなところがあって、いまの俺とは真逆のような人間だった。

 

 

 

『あのトラックは、出会う度にゴボウ抜きしていくな』

 

普段から交通量が多い場所だったから、トラックの前後を挟むような形で何台かのクルマが連なることは珍しくなかったし、時間を急くトラックが追い越しをするなんていう光景は大して珍しくなかったから、気にも留めなかった。

 

それがだんだんと“おかしいな”と感じ始めたのは、そのトラックがルート配送だと認識してからしばらく経ったころのことだった。

 

“雇用主である会社側が(余裕があるように)走る経路も時間も決めている筈なのに、そもそもあんなに日常的に追い越しをする必要があるのかな?”

繰り返し言うが、このころの俺は今の俺じゃない。

ほかの奴なら、もっと早くに気がついていることだろう。

 

 

大型のトラックだったから、対向車線にいても、それとわかるぐらい目立つ。

だが、これは相手のドライバーも同様で、高所の運転席から俺が運転するバイクを見つけるのは、たぶん、俺よりも相手のほうがいつも少しぐらい早かったろう。

 

“直線があんなに長い場所で助走も十分なのに、いつも俺と擦れ違う直前になって追い越しをかけるから、危ないんだよなあ…”

そうヘルメットのなかで呟いたとき、そこで初めて、俺はハタと気がついた。

 

“ああ、そうか。あれは俺に対してやっている威嚇だ”

 

 

 

 

平日にその場所を走ることはなくなって、二十年近く経っていた。

大型バイクも何台か乗り継いで、そのころはY社製のアメリカンに乗っていた*2

 

あのバイパス近辺をしばらくはバイクで走ることはなかったが、曜日や時間帯を変えれば、走れないことはなかった。

とりあえず、クルマにさえ乗っていれば、あのトラックに目をつけられることもない。

そうやってやり過ごすうちに、いつのまにかあれから長い時間が過ぎていた。

 そして、あの出来事を、すこしだけ忘れかけていた。

 

 

 そんな矢先のことだった。

 

 

 

3府県から伸びて来た道がちょうど交わる場所に、今もそのコンビニはあった。

あのことがあってから、次第にバイクで寄る回数が減り、最近はクルマでしか行かなくなっていた。

その日は連休のうちの何日目かで、日帰りツーリングからの帰りだった。

 

 “ひさしぶりに、あのコンビニで休憩して帰るか”

 

乗っているバイクの車格はそれまで乗ったもののなかで最大クラスだった。

走り出せばバイクの大きさは関係ないとはいうものの、一日の移動距離が三百キロ近くともなれば、それなりに疲れる。

休憩するにしても、連休の最中だから、ふつうのコンビニの駐車場はどこも満杯だった。

 

“あそこならここら辺りでいちばん駐車場が大きいから大丈夫だろう”

 

 

行ってみると、ただでさえだだっ広い駐車場は拍子抜けするぐらい空いていた。

店の前にデカいバイクを停めるのはさすがに気が引けるので、店の正面から離れた場所にあるクルマの駐車スペースに停めることにした。

メインキーをオフにして降りようとしたとき、その大型の輸送トラックは入ってきた。

 

トラックが入って来た入り口から近いところの、俺のバイクからみて左側は、普通車の幅にして4台分空いていて、長さは例え大型トラックが停めたとしても十分にスペースがあった。

 

当然、トラックは、入り口からすこし入って来たところで回頭し始めるとおもったが、予想に反して駐車場の中程まで進んできても、旋回し始める様子がない。

“おかしいな”と俺がおもったときにはすでにおそく、エンジンをすでに停止している俺は機先を制されてバイクから降りることもできない。

その直後、俺のバイクからすこし通り過ぎたところで、トラックが一度向こう側へ振った頭をこちらへ向けて舵を切り始めた。

 

“ああ、もう駄目だ”

 

そうおもった瞬間、なす術も無く呆然としている俺のバイクの直前で、そのトラックは旋回するのをやめた。

 

普通なら、こういうトラック側の行動として予想されるのは、クラクションをけたたましく鳴らされるか理不尽な罵声を浴びせられるかが相場だとおもうが、一切そういうことはなく、運転席を見上げるとドライバーが無表情な顔で俺を見下ろしていた。

俺に“退け”ということらしい。

 

 

トラックから降りて来た運転手は、短く頭を刈り上げて、歳は俺と同じぐらいにみえた。

ヘルメットを脱いだ俺と目が合っても、相変わらず無表情で、文句のひとつどころか、一言も発せずに店に入っていった。

 

 

俺もその運転手に続いて店に入り、飲み物を買って早々に自分の停めたバイクの場所へ戻って来た。

喉を潤しながら、なにげなく、横に停まったトラックの側面をみると、会社の名前が目に入った。

 

“…これは、まさか…”

 

そう、忘れる筈はない、二十年前にこの近くのバイパスで何度も遭遇した、あの輸送トラックだった。

連休中ではあったが、ルート配送は年間を通したルーティンらしく、今日も変わらず京都からの帰りだったのだ。

 

 

 

 

 

あとから改めてネットで調べてみると、この運送会社は、ボランティアに熱心な企業として、少なくとも地元周辺では認知されている、とのことだった。

経営者は地域でも有名な名士らしい。

 

 

 

 

*1:いわゆる地方の〝3桁〟国道。

*2:ヤマハ・Vmax(第一世代。北米・カナダ仕様の最終型)