紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ

SLASH METAL⚡ GARAGE OFFICIAL BLOG

動画から上がる収益のことを気にするよりも

今年の4月から、動画の収益化について、YouTubeが方針を変更した。

本日より、チャンネルの合計視聴回数が 10,000 回に満たない YouTube パートナープログラム参加チャンネルの動画には、広告が配信されないことになりました。チャンネルの運用開始から収益化までに一定の期間を設けることは、収益化の妥当性を判断することに役立ちます。さらに、収益化しようとしているチャンネルが広告主に適したコンテンツのガイドラインおよびコミュニティ ガイドラインに則しているかどうかを確認できるようになります。なお、本日までに獲得された収益への影響はありません。

日本版 YouTube クリエイター ブログ: クリエイターの収益を守る仕組みを強化: YouTube パートナー プログラム アップデートのお知らせ

 2017年12月23日現在の、自分のチャンネルの合計視聴回数は、以下の通りなので、一応はYouTube側の条件は満たしていることになる。

f:id:ghost_pain:20171223220010p:plain

先の方針変更以後、実際にYouTubeの収益化に関する仕様変更が行われたのは8月7日かららしい。管理画面で確認して、収益化している動画の緑のアイコンが黄色アイコンに変わった動画に関しては『ほとんどの広告主に適していないコンテンツ』ということで、収益化をしているユーチューバーを含めた動画投稿者の間で、ちょっとした騒ぎになった。

 

以下の動画は、YouTubeの仕様変更以後に黄色のアイコンが表示された。

youtu.be

投稿当初、この動画に付けたタイトルは「最悪の出来事」だった。カスタムサムネイルの動画タイトルも、大きく目立つデザインに編集した。だが、予想だにしなかった黄色アイコンへの変更を受けたことにより、以下のガイドラインの項目のいずれか、もしくは複数に重複して抵触しているのではないか?という疑惑を持った。

f:id:ghost_pain:20171214115349p:plain

広告掲載に適したコンテンツのガイドライン - YouTube ヘルプ

考え過ぎかもしれないが、バイクの走行動画に「最悪の出来事」というタイトルの組み合わせが、事故か何かを視聴者に想起させる〝有害または危険な行為〟や〝不適切な表現〟に当たるのではないかと。再投稿はなるべくならやりたくなかったので、(さすがに字幕の分に関しては無理だが)とりあえずはサムネとタイトルを変更した。結果、審査リクエスト申請後の翌日には通常の収益化(=緑のアイコンへ表示が変更)が認められた。ちなみに、この動画に関しては、予約投稿を設定した段階で既に黄色アイコンの表示がされていた。今となっては、タイトルとサムネ変更が功を奏したものどうかは検証しようもない。少なくとも、通報などが黄色アイコンへ変更された原因ではないことは確かだ。

 

自分の動画が誰かの役に立っているかどうかは定かではない。しかし、投稿開始当初から、できるだけ分かり易い内容にすることは心がけているつもりだ。高価な機材やソフトを使うことにも憧れるが、(自分の投稿内容から言って)あまり必要ないだろう。

走行動画もあるにはあるが、基本的に自分のチャンネルはモトブログではない。あくまで作業動画がメインであり、撮影目的でバイクをいじることは、ほぼないと言っていい。チャンネルを登録してから2年余りになるにも関わらず、動画の総本数が50本にも満たないというのも、その辺の事情が関係している。その割には、多くの閲覧をいただき、中にはチャンネルを登録してくれた奇特(?)な方もいらっしゃる。本当に有難いことだと思っている。収益化しているとはいうものの、もちろんそれでユーチューバーのごとく生計が立つほど世の中甘くはない。少しでもケミカル代の足しにでもなれば、御の字じゃないだろうか。そんなふうに気楽に考えている。

youtu.be

一般的な話として、仕様変更以前に投稿した動画で、一年二年と時間が経過しているものに関しては、審査リクエストを申請しても、通常の収益化が認められることは難しいかもしれない。YouTubeの今年の仕様変更は、収益が出にくい動画(=ほとんどの広告主に適してないコンテンツ)をクリエイターにはっきりと理解させるという目的がある。以前に投稿した動画が、黄色アイコンになったからといって、収益自体は減っていない。もともと低かったのだ。もし、申請後の結果が望んだものでなかったとしても、もともと広告が付きにくい内容だったと早々に諦めて、次回以降の動画内容を充実させていくことのほうが賢明だとおもう。

だが、収益が低い動画だからと言って、間違っても削除などは考えないほうがいい。自分が投稿している作業動画にしても、ずいぶんと時間が経ってから、急に閲覧数が増えることがある。少しでも閲覧があるということは、どこかの誰かの役には立っているのかもしれない。投稿後もサムネやタイトルは変更できるから、工夫してみたらいい。(自分もサムネは度々変更するけれど、あくまで動画を多くの人に見てもらう工夫だし、収益を上げる目的であまりにも明からさまなことをやるのは趣味ではない)

 

 今回の件に関しては、(まだ一部勘違いされてる方がいらっしゃいますが)現在は決着がついています。年末の締めくくりという意味で、取り上げさせてもらいました。

峠を越えようとしたら、予想外の積雪でスタックしたときの話。

20年ぐらい前だったとおもう。

兵庫県丹波市側から朝来市を抜ける際に通る、青垣峠(生野峠)。時季は3月ぐらいで、銀山湖へ出ようとクルマで走っていた。行けば分かるが、良くて一車線半ぐらいの幅しかない。舗装はしてあるが、近年は〝酷道〟の1つにも挙げられていて、用事がなければ、まず普通は誰も通らない。

クネクネと曲がりくねった細い道の両側には、杉が植林されている。丹波市側から入ると、途中から左側は完全に崖になり、転落を防止するガードレールはなく、上りの勾配はかなりきつい。まだ寒い時季だったが、数日前に降った雪も消えていたので、『大丈夫だろう』と高(たか)を括っていた。これが甘かった。

f:id:ghost_pain:20171222183936j:plain

生野峠 - Wikipedia

あと少しで峠を越えるというところで、うっすらと雪が積もっていた。これが平坦な場所だったら、さっさと引き返すところだったろうが、そうなると、延々とバックで後退することになる。あそこの場所を走った人間なら分かるとおもうが、とてもじゃないが、そんなことはできない。対向車を避けられる道幅のところまで下がるには、距離がありすぎる。

『ええい!ままよ。行ってしまえ!』

今から思えば本当にバカをやったもんだが。前輪が雪に乗ったとおもうと、すぐにズルズルと滑り始めた。アクセルを踏み込むと、タイヤは空転して、車体が左右に振れる。

『終わったな』

最初に見たときは、うっすら積もっていたと思っていた雪も、運転席から降りて確認すると、坂を上りきる手前ぐらいで5センチもあった。ノーマルのタイヤを履いたクルマを立ち往生させるには十分だ。すでに、後輪も雪のエリアに入っている。後退することもできない。

急勾配のせいで、朝来市側から来る車両には、こちら側は見えにくい。走行しているクルマ同士が行き交う分には、音で判断して譲り合うこともできる。しかし、こんな中途半端な坂の途中で停まっていることなど、相手側からすれば、予想だにしていないことだろう。

今から思えば、アスファルト舗装なのだから、前輪の周囲から進行方向の雪を除去すれば、そう時間もかからずに脱出できただろう。しかし、実際に、あのような場所で窮地に追い込まれると、普段の冷静さはどこかへ飛んで行ってしまう。それでも、考えているうちに、1つの方法が頭に浮かんだ。

『一か八か…あの方法を試してみるか』

まずは、足元の雪に注意しながらクルマから降り、工具箱やら何やら、あるだけの荷物をトランクから下ろして、それをボンネットの上に積んだ。そして、運転席に戻り、慎重にアクセルを踏み込んだ。前輪に適度に負荷が掛かったクルマは、ジリジリと坂を上り始めた。*1

 

結局、雪が残っていたのは、丹波市側だけだった。朝来市側へ出てみると、路肩には雪がところどころ残っていたものの、走行には全く支障がなかった。

『…助かったあ』

ようやく、峠を越えることが出来、思わず俺は安堵のため息をついた。あれから、あの周辺を走る機会は殆どないが、今はどんな感じだろうかねえ。

 

国道429号 - Wikipedia

 

touge1000.com

*1:当時、自分が運転していたクルマは前輪駆動です。

気遣い

『大丈夫?』

 

そう問われれば、『大丈夫だ』と答えるしかない。

たとえ、〝大丈夫〟じゃなくても。

はねつければ、孤立するのがわかっているから。

安堵を得たいのは自分で、問いかけた他人のほうじゃない。

 

『大丈夫?』

 

使い古しの雑巾のように陳腐で黴(かび)臭い。

今日もどこかで誰かが、お手軽に親切を安売りする。

だから、俺は口にしない。

ただただ、延々と関係のない話を喋り続ける。

相手が呆れて寝てしまうまで。

 

 

 

ジレンマ

家の東側に見える山肌も、ぼんやりとした薄墨色に変わりつつある。

 

うちの庭で、トボトボと歩いてるのを最初に見たときは、犬かと思った。鋭い眼光と尖った鼻先から、すぐにキツネとわかった。母屋と倉庫の境には、田んぼの水を流す溝があり、そこを歩いていたのか、腹から足先にかけての体の下半分が泥で汚れ、濡れた体毛が垂れ下がっていた。自分と目が合っても、少しも動じる様子はなく、田んぼの畦のほうへ同じ調子で歩いて行き、姿を消した。それからしばらくして、川土手を歩いているのを見かけた。どこかに巣があるのかもしれない。

イタチは、庭で頻繁に見かける。倉庫に侵入してフンをするのが困りもので、避忌剤代わりに木酢液を撒いたりもするが、しばらくするとまた入ってくる。見かけるイタチは大抵の場合においてメスで、細長い体型を生かして、どこからでも入ってくる。鉄骨のスレート葺きの倉庫は、隙間だらけだから始末に負えない。まさに、イタチごっこだ。

梅雨のころになると決まって、芝生の上にサワガニが一匹、干からびて死んでいる。用水路から田んぼへ入ってくるものか、よくはわからない。不思議なことに、いつも毎年一匹だけが死んでいる。

畦草刈りをしていて遭遇するマムシは、ひと夏に数回は駆除をする。川や田んぼの水場が近いし、夏場などは朝起きると犬走りのコンクリートの上で涼んでいることもある。普通のヘビと違って体型は比較的太短い。風の強い日は、叢(くさむら)のなかで丸くトグロを巻いている。独特の体の紋様が保護色になり、畦草の間を移動しているのを見つけたときは、慣れているとはいえ背中に怖気(おぞけ)がさす。

さまざまな種類の動物が敷地内に訪れるが、中でも群を抜いて鳥類が一番多い。カラス、スズメ、ハクセキレイキジバトムクドリ、モズ……ざっと思い出しただけでも、これぐらいいる。裏の川が増水すると、巣から退避してきたカワセミが庭木に止まっているのもよく見かけたが、護岸工事がされてからはそれもなくなった。

昨日、キジの鳴く声を聞いた。もうどのぐらい棲み着いているのか。母衣ち(ほろうち)こそ聞かなかったが、あれは確かにオスの鳴き声だった。たぶん、土手下の葦の生えているあたりだろう。敷地内とはいえ、ゴロゴロと川の石が多く、農地としては使えない。柿の木とイチジクが一本ずつ植えてある程度だ。ここには、カヤネズミも巣を作っている。イタチと同じく、倉庫に時折侵入してくる。

 

おまえたちには悪いが、俺ももうしばらくは生きていてやらなくてはならんのだ。すまん。

全てのことを受け容れて生きてくしかない

自分なんぞは、己の生き恥を明け透けに書き散らすものだから、他人様から見れば、随分と非常識な人間に映ってることだろう。だが、ブログを書いている全ての人間に言っておきたい。『あんた達も、14〜5年前なら十分に変人の部類に入っていたよ』と。SNSでプライベートを第三者に公開するなんてことは、当時は考えられなかった。常識などというものは、時代が進むごとに変遷していく。だから、〝後出しジャンケン〟で勝った人間に文句を言うつもりもない。

家を出て寮生活をしていた頃のこと。同僚に少し変わったやつがいた。仕事が終わると、同部屋だったそいつと風呂へ行くのが日課だった。俺も、同部屋のそいつも入浴時に歯を磨く習慣があった。自分を含め、大抵の寮の者は、シャワーの付いている洗い場に付属のカランをひねって口をすすぐ。だが、そいつは大勢が浸かる浴槽から風呂桶で湯をすくい、さも当然のように口をゆすいだ。最初にそれを見たときは、流石にびっくりしたが、半年も同じ生活を共に過ごすうちに、俺もいつの間にか慣れてしまった。一度、現場を見た先輩が『それは…やめておいたほうがいいんじゃないか?』と呆れていたが、やつは意に介してない様子で、以後もその習慣をやめることはなかった。

そいつが特別に度外れて変わった人間かというとそうでもない。ある晩のこと。俺が、たまの外出でヘベレケに飲んで帰ったことがあった。門限ギリギリ、這々の体で寮に帰り、着替えもせずに自分のベッドにすぐに横になった。そうして迎えた翌朝、二段ベッドの下に寝ていたそいつが、起き抜けでまだ酔いが冷めやらぬ俺に突然に激昂した。どうやら、寝ている間に履いていた靴下を脱ぎ、下に落としてしまったらしい。終日飲み食いして街を歩き回ったこともあり、俺の靴下から匂いが発散していたこともあったのだろう。『いい加減にしろよ!』と、いつにない激しい口調で俺をなじった。『すまん。すまん』と俺は口では謝りつつも、〝こいつにも、こんな繊細な部分があったんだな〟と妙におかしかった。

街へ出て、知り合いに会うごとに『顔色が悪い』と言われ、それが3人も続けば、それまでなんとも思っていなかったのに『俺はどこかおかしいのか?』と病気を疑いだす。実際には、それが知り合い同士が示し合わせたタチの悪い悪戯だったとしても。ヒトの精神とは脆いものだという例え話だ。昔からよく聞く話で、古典落語の小話にもしばしば登場するから、お聞きになった方もいることだろう。同僚の風呂場での行為に『あいつはおかしい』と寮に住む人間全員の同調圧力のようなものが働けば、精神的に追い込んでしまうことも、もしかするとあり得たかもしれない。

〝世の中には、いろんな人間がいる〟

そういうことを教えてもらったのが、自分の寮生活だった。気がつけば、あれから三十余年が経った。年々、世の中は寛容さに欠けた、余裕のないものになりつつある。

〝箸の持ち方がおかしい〟

〝クチャ喰いやめろ〟

不愉快なら、ブラウザバックすればいい。親に厳しく躾けられたということはわかるが、過去の自分を他人に代理させて叩いても、今の自分の問題が片付くわけじゃない。何より、こうした指摘は、身内か親しい友人がこっそりと本人に耳打ちする類のもので、顔の見えない赤の他人が言うことではない。もうどのぐらい、他人とまともなコミュニケーションを取っていないのか。マナーのことを取り沙汰する前に、他人を傷つけ恥をかかせるということがまるで理解できていない。

〝5年後のあなたはどうなっていると思いますか?〟

そんなことを聞いてどうするんだろうな。気になっているのは、相手のことじゃなくて、自分自身の5年後のことだろう。もちろんだが、他人から自分の欲する答えが得られるはずもない。

〝効いてる効いてる〟

自分と同じ苦しみを他人に与えて喜ぶなんて、それこそ病気だよ。

 

努力すれば、必ず機会が皆平等に与えられれば、それは確かに理想だ。仕事だろうが恋愛だろうが。でも現実はそうじゃない。どうしても埋められないことは、誰もが抱えて生きている。そういうことを、もっと親や学校がきちんと教えるべきだった。あなたに同情するべき点があるとすれば、そこだろう。今、家族が放っておいてくれるのは、あなたに何もしてやれなかったことを悔いているのだよ。決して、呆れたり見放しているわけじゃない。

〝俺の人生、もう詰んじゃってるんだよ〟

そんなことを言う配信者でさえ、日々もがき続けている。いいことなんて、いくら待っていても、向こうからやってくることは決してないから。耳障りのいいことを言って近づいてくる人間は、結局は他人から奪っていくことしか考えていない。現実の人間との関わりが遠のくほど、そういう見極めができなくなる。

moto-neta.com

ギルバート・グレイプは、母親が亡くなったことで現実を受け入れた。自分にしたところで、親父が死んだことで様々なことが変わってしまった。何年も長く病んでいたので、そんなに慌てることもなかったが。何より、この一年足らずというもの、押し寄せてくる現実ひとつひとつに対処して行かなくてはならなかった。これからも、自分が生きていく限り、それは続くだろう。

親が生きている間に予行演習ができた俺は幸いだった。どんなにネットで知識や理屈を身につけても、現実の人間の行動はその予想を超える。何をするにつけ、怒りは冷静な判断をするのに邪魔になるだけだ。他人に腹を立てている時、そこに自分の姿を無意識に投影している。自分の嫌な部分を、その人間の行動に知らず知らずのうちに見出してしまっている。できたら、親が生きているうちに現実を受け容れることだ。できないことや、できなくなったことを嘆いてもしょうがない。日々、親も自分も同じに歳をとっていく。

 

youtu.be

何もかも嫌になった時期は俺にもあった。19のころ、バイトに出かけることも家の仕事を手伝う気にもなれず、数ヶ月の間、家に閉じこもっていたこともあった。

 まずは風呂に入り、髭を剃り、歯を磨いて清潔な服装に着替える。散髪代ぐらいなら、親もくれるだろう。どこへでも出かけられる姿になったら、コンビニに入ってみるのもいい。長く他人と話すこともなかったのなら、店員との短いやり取りでさえ苦痛だろう。でも、そこから始めるしかないんだ。それで、だんだんと自分を馴らしていく。昼間に出かけることに慣れたら、ショッピングモールでも駅前でもいい、履歴書用に証明写真を撮る。職歴が空いていたことや年齢のことを気にするのは、もうそろそろやめにして、まずはハロワに行ってみることだ。備え付けの端末を叩いてみると、現実の厳しさに落胆することになるかもしれない。それもしょうがない。やる気があるということがわかれば、まともな相談員は事情を聞いてくれる。嘘もごまかしも言わないことだ。履歴書の書き方のコツもアドバイスしてくれるだろう。

 

もう、全てのことを受け容れて生きてくことだよ。